古朝鮮(こちょうせん)
紀元前2333年、檀君(だんくん)という人物が平壌城で檀君朝鮮を建国しました。
次に箕子(きし)朝鮮という王朝が登場します。「史記」や「漢書」によると中国の殷の移民が建国したとされます(~紀元前194年)。
実在が確認されている初めての王朝が「衛氏(えいし)朝鮮」です(紀元前195~108年)。
衛氏朝鮮は、中国の燕の出身である衛満(えいまん)によって建国されましたが、紀元前108年に前漢の武帝によって滅ぼされてしまいます。
それ以降、朝鮮半島は中国王朝の支配を受けることになります。
ここまでが、古朝鮮とよばれる時代です。
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中国による支配
紀元前108年、衛氏朝鮮は前漢の武帝によって滅ぼされてしまいました。その結果、朝鮮半島のほぼ全ては中国の支配下に入ることになりました。
武帝はさらに、支配下の朝鮮を「漢四郡(かんのしぐん)」という4つの地域に分けて統治します。
(※漢四郡は朝鮮植民地時代に日本の歴史学者・考古学者によって発見されたため、また、当時の中国支配による大きな影響力を否定するため、北朝鮮および韓国の歴史研究者からは捏造とされる事があります。堀田善衛・宮崎駿・司馬遼太郎 『時代の風音』 朝日新聞出版〈朝日文芸文庫〉で司馬遼太郎と宮﨑駿がその事に触れています。)
やがて、朝鮮を支配していた前漢が衰退していきます。また、前漢に続く、新や後漢といった王朝も、西に進出をしたり、北の部族からの攻撃に備えることが増えていきます。結果として、中国の朝鮮への支配が弱まっていきました。
3世紀に入ると、魏の王朝から遼東半島を任されていた公孫氏(こうそんし)という豪族が朝鮮半島の支配に向けて活動を開始します。
(←遼東半島)
公孫氏は魏の目を盗み(当時の中国は大波乱の三国時代だったので)、楽浪郡(らくろうぐん)を北と南に分割して、南に帯方郡(たいほうぐん)を作りました。
しかし、公孫氏はあえなく238年には魏に滅ぼされてしまいました。